旅行・地域

★佐々木只三郎が清河八郎と龍馬を…!?@江戸麻布一ノ橋

017 幕末に、佐々木只三郎、等によって清河八郎が暗殺された場所、麻布一ノ橋です。
佐々木は、坂本龍馬の暗殺にもかかわっていたとの証言がありますね。

アクセス:一ノ橋はメトロ麻布十番駅のほぼ真上。
交番の横に位置しており、交差点を渡ると、そこは麻布十番商店街という好立地です。


wave徳川将軍が上洛する際の警護役・浪士組の幹部になる事で、過去に人をあやめた罪を幕府から特赦された清河ですが、浪士組の本来の目的を惑わす胡乱な言動で、到着したばかりの京都滞在を打ち切り、浪士組と共に急遽、江戸に戻る事に。
暗殺が決行されたのは、そんないきさつがあった後、文久3年4月の事でした。
その後、浪士組は新徴組(新徴組屯所跡はこちらでリンク)と改名。

幕末当時、江戸~京都間は、中山道や甲州街道を利用して徒歩で片道約2週間の道のりだったと聞きます。
文久3年2月に京都へ上洛し、同年4月には江戸で斬りあいに至る清河と佐々木。
短期間に往ったり来たり、幕末の志士は健脚だったんですね。

 清河は妻(人をあやめた罪で逃亡中の清河の所在を詮議され獄中死sweat02)と共に、友人・山岡鉄舟の手配した小石川・伝通院に葬られました。
伝通院(こちらでリンク)は徳川家の菩提寺で、将軍警護の浪士組を募集・出立地となった寺院ですね。

撮影は2010年4月初旬。
悲惨な場なので、しばらく掲載を迷いましたが、「幕末は清河に始まり龍馬で終わった」という考えもあるようなので記録しておきましょう。

 佐々木只三郎は、江戸で徳川幕府講武所・剣術師範役を勤め、後には京都守護職・見廻組の与頭に就任。
鳥羽・伏見の戦いの銃傷が元で慶應4年に亡くなりました。
その前年、佐々木只三郎が率いる見廻組が坂本龍馬を暗殺したのだ、との佐々木配下の見廻組隊士の証言がありますが、真相はいかに……。

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★鎌倉の裏側24時

 鎌倉の24時間を紹介するドキュメントTVが放送されていました。

早朝5時、鶴岡八幡宮の太鼓が鎌倉に響き渡り、浜では近海で獲れるシラス漁の舟が出港します。
鎌倉の朝は早いんですね。
私が電車を乗り継いで観光で訪れるのは、早くても10時過ぎ……既に観光客で賑わっています。
早朝の鎌倉の光景を見るのは初めての事。

番組中で紹介された様々な光景では、仏像や鎌倉彫等を新しく作り出す職人技の紹介もありましたが、私が通常では接する事のない修理に携わる人々が印象に残りました。

お寺の総門の修理。
門をジャッジで持ち上げ、痛んだ柱根元を修理する過程が映し出され、石畳の修理も紹介されました。
鎌倉石は水分を含みやすい為にコケが生えやすく、風情ある景観が作れるのだとか。

新しいものづくりでは掛け軸上部につける2本の細長い布の役目が紹介されました。
庭園でお茶席が設けられる事もあった時代からの風習で、鳥よけなんだとか。
私はてっきり装飾なのだとばかり思っていたのですが、職人の作り出す物には、それなりの役割があるようですね。

友人知人と連れ立って歩く鎌倉ではおしゃべりに夢中になって見逃してしまいがちな事柄が時間経過と共に紹介され、また古都鎌倉に足を向けたくなりました。

できる事ならば、早朝5時の太鼓を聞きたいものです。
我が家からは何時に起きて出発すればかなうのでしょう。
いや、いっその事 夜中に出発して早朝の鎌倉を散策、観光で賑わう頃に家路に着く、時にはそんな旅もありなのかもしれないですね。

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★祝☆美濃加茂で片岡仁左衛門氏が受賞。

美濃加茂市で創設された、坪内逍遙大賞。
第13回に片岡仁左衛門氏が受賞
されたそうですね。

美濃加茂市……大昔、焼物を探しにいきました。
当時まだ若く、運転免許証も持っていない私は、駅前にはこれといって代表的な焼物施設を見出せずガッカリした記憶があります。

近隣の多治見ともども美濃焼きの産地で、濃い翠の織部、ふんわりと雪の様な妙薬の美しい志野焼き(鼠志野も素敵です)が思い浮かび、その清々しい焼物の姿には、凛とした仁左衛門氏の面影が重なります。

更に記憶をさかのぼれば、多治見には明智光秀の史跡を訪ね歩いた記憶もあります。
詳細はもう定かではありませんが、懐かしいな。
久しぶりに散策してみたいな。

仁左衛門さん、おめでとうございますshine

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★羽田空港から京急を利用してみました。

 通常だと羽田空港から我が家への帰宅経路は、東京モノレールで山手線浜松町駅に出て、JR東京駅経由で帰宅しています。

東京駅は始発なので並べば必ず座れる事から特に不満は無いのですが、強いて言えば、丸の内・大手町界隈で働くサラリーマン客の通勤帰宅ラッシュにまぎれて乗車する事になるので、東京駅でイッキに旅行気分から現実に引き戻されます。

あ~あ、楽しく開放感を味わった旅行も終わり。また、働かなくちゃなぁ~。

 さて、今回は羽田空港で、最近、京急が便利になったとのニュースを思い出し、急遽、羽田空港から京急を利用してみました。

我が家の場合、京急利用だと川崎駅でJRに乗換える必要があります。
おおっ、川崎駅まで早いですね。
ほんの少しですが、運賃も安いし、乗客も行楽客が多く、スーツ姿を見かけません。
これは上場。


京急川崎駅までは、なかなか快適だったのですが、乗換えで思わぬ落とし穴が待っていました……。
京急川崎駅からJR川崎駅への乗換え案内表示が見当たらないのです。
冷静に探せばあるのかもしれませんが、見当たらず。

ライバル会社への乗換え案内表示には力を入れていないのかもしれませんが、私は絶対にJRに乗換えなければ帰宅できないのです。
京急の中央口から駅舎をでて、しばしうろうろ。
こういった場合は、大きな人の流れに沿ってついて行けばたいてい目的地に到着するはずなのですが、川崎という大きな街では、人の流れは二分してしまいます。

乗換えに要する距離は300メートル程なのですが、結局、道を訪ねなければ目的地JRの駅舎にたどり着くことが出来ませんでした。
後に調べて、地下商店街を利用すれば乗換え案内もあったらしいと知るのですが、既に後の祭りです。
あたた、下調べもせずに思いつきで行動するから道に迷う事に……でも、道に迷うのも旅の想い出のひとつですね。

結論。
スムーズに乗換え出来た仮定して、東京モノレールを利用した場合と比べると、
●運賃は京急利用の方が100円ほど安くなりますが、車窓の景色はモノレールの方が楽しいかな。
●京急経由路線に厳しいラッシュはありませんが、必要時間は10分ほど多くかかります。

なんか、我が家の場合はどっちもどっちですね。
次回はどちらを利用しようかな。
きっとその日の気分で決めることになるんでしょうね。

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★小石川伝通院(徳川家菩提寺、浪士組出立地)

 最寄の地下鉄駅から中央大学方向に進むと、左手に春日局像があります。
その先の緩やかな坂を上り、交差点を右手に曲がると正面に伝通院がみえます。
その距離は徒歩で10分ほどもあるのですが、不思議と距離を感じないのはなぜでしょうか。

002_3 ここ、伝通院を訪れたのは、後に京都で新撰組・江戸で新徴組を結成する浪士達の募集が行われた場所と聞いたからです。(写真はクリックで拡大します。)
彼等が集合した塔頭、処静院の学寮・大信寮は現存してはいませんが、徳川家菩提寺にふさわしい美しい墓所を垣間見る事ができ、とても充実した史跡散策になりました。
現代の寺領自体は決して広くはありませんが(かつての規模は門前の絵図を写した3枚目の写真で想像してください。)、徳川家の女性達の菩提を弔う五輪塔は、その見上げるほど雄大な大きさはモチロンのこと、たおやかで綺麗な曲線が目を奪います。

中央には家康の生母、於大の方。
奥まった一角には、秀忠の長女、千姫。
家光の御台所、孝子の方。

日本史で名高い徳川家を彩った女性達が、枝垂桜の植えられた墓所に眠っています。

001 そうです。
私が訪れたのは、今年2010年4月初旬の桜の頃なのです。
時節柄、桜吹雪が目を惹きました。
中でも、2列に向かい合う形で建ち並ぶ歴代上人墓の間の通路に植えられた2本の桜の大木からは、ひらひらと桜の花びらが風に舞い遊び、言葉につくしがたい美しさです。
それは、お墓は写真に撮らない主義の私が、おもわずシャッターを押しそうになるほど、幻想的で魅惑的な美しさでした。
でも、この桜吹雪の美しさは、私の拙い写真には到底おさまりそうもありませんので、かろうじて気を取り直し、またこの季節に再訪できる事を願うばかりです。

歴史で思い浮かぶ著名人では、清河八郎、柴田錬三郎の墓所もここにあります。

003 
さて、私が訪れた当初の目的である浪士組の面々は、ここ大信寮に集められ、文久3年2月8日、京を目指して出立しました。
とはいっても2月は旧暦ですので、現代の新暦では3月後半にあたります。
彼等も、徳川家の女性達の墓参をし、桜を見たのでしょうか。

桜の開花状況は今となっては定かではありませんが、幕末の頃に庶民の徳川家への墓参は許されていたのでしょうか……。
ここは徳川家菩提寺ですが、不思議な事に倒幕思想で暗殺された清河の墓所があります。
浪士組の意義を考えれば墓参できた可能性は高そうですね。
もしも、墓参が許されていたと考えれば、少なくとも新撰組を結成する試衛館の人たちは、幕府の直轄地である江戸は多摩で生まれ育った人達ですので、墓参はしていることでしょう。

前途に大望を抱いたであろう彼等の出立に思いを馳せながら、私も葵の紋入りの旅の守り鈴を求めました。

アクセス:東京都文京区。
営団地下鉄・後楽園駅、または都営地下鉄・春日駅下車、徒歩約10分。

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★天然理心流が献額した大國魂神社のくらやみ祭

4月30日~5月6日まで行われる、
東京都府中市の大國魂神社(旧:六所宮)のくらやみ祭りを見てきました。

ここは、幕末、文久元年(1861)に、後に京都で新撰組主要メンバーとなる天然理心流一門が献額し、野試合を行ったところでもあります。
総大将:近藤勇、太鼓役:沖田総司、土方歳三や井上源三郎、他流免許皆伝の山南敬助も参加しています。
山南さんもこの時点で正式に一門に加入していたのでしょうね。

私が今日見てきたのは、くらやみ祭りのメインともいえる、5月5日午後6時からの神輿渡御(8基の神輿がご本殿から御旅所へお移りいただく神事)

2010425_001 午後6時に花火が上がり、本殿から大太鼓が次々に姿を現します。
ドォンッと胸に響くような太鼓の音が神苑に響き渡ります。
この時刻、境内には氏子や関係者以外は立ち入り禁止なので、私は遠くからの見学です。
最初の神輿一ノ宮が姿を現したのが、午後6時20分ごろ。
2010425_007 見学場所を正門前の大通りに移動して待つことしばし、午後7時ごろにやっと最初の大太鼓が神社前の大通りに姿を現します。

勇壮なバチさばき音を響かせる数台の大太鼓を見送り、最初の一ノ宮の神輿が正門をでてくるのが、午後7時20分頃でしょうか。
遠めに喧騒が伝わってくるのですが、神輿は10メートル進んだ後、10メートル後退し、といった按配で中々姿を現しません。
2010425_012 わくわくと待ち続け、ちょっと足が疲れたかなぁと思う頃にやっと目前に現れた神輿は、道端から道端に移動し、はてはクルリと旋回し、二ノ宮の神輿と三ノ宮の神輿が並んだり、交差したり、三ノ宮は続く四ノ宮とも共演し、まるで踊り舞っているかのごとくの動作で観衆を盛り上げていきます。
軽快で楽しい神輿を静止画でしか記載できないのが残念です……

2010425_014 四ノ宮の神輿を見送ると、早午後8時前、明日は仕事なのでそろそろ帰ろうかなぁと本殿方向に戻ると、そこにも新たな大太鼓に先導された神輿の登場。
8基中5基の神輿を目にすることが出来ました。

本日は午後11時ごろまで行事が続き、明朝6日は午前4時ごろ、御旅所を出発した神輿が町内を練り歩きながら神社に戻り、午前8時ごろには7日間にも及ぶ今年のくらやみ祭り全神事を終えるそうです。
来年は他の神事も見てみたいなぁ。
画像はクリックで拡大します。

アクセス:京王線府中駅、またはJR南武線府中本町駅、ともに徒歩約3分。


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★幕末の北辰一刀流道場、玄武館跡(龍馬、山南、沖田?)

 千葉周作さんの道場、玄武館跡です。
おりから、龍馬伝放映中との事で、地下鉄駅には案内図が貼ってありました。001
坂本龍馬のみならず、新撰組の山南敬助もここで剣術を学んだ事があるようです。

また、天然理心流「試衛館」塾頭の沖田総司も、北辰一刀流免許取得といわれています。
試衛館の食客となった山南さんに北辰一刀流の手ほどきを受けて免許取得の道に進んだのか。
あるいは、ここ玄武館に通ったのでしょうか?

坂本龍馬ゆかりの地と案内がありますが、龍馬は、周作氏の弟・定吉(貞吉)が京橋桶町に開いた小千葉道場で修業したと聞きます。

旧小学校跡地にあるため、自分で鍵を開けて見学すべしsign01とのこと。

006_3 鍵ってどこで借りるのかな??果たして敷地内に入場できるのかなとの危惧は無用だったようで、門扉は横にずらす方式の鍵のみで既に見学中の人もいたのですんなり入場することが出来ました。
細かい字で読みづらいのですが、石碑後半部分も玄武館についての案内です。
画像はクリックで拡大表示できます。

交通アクセス:東京都千代田区。
地下鉄岩本町駅A1出口のすぐ裏手です。

005_3

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★満開の桜@東京・根川緑道&残堀川

年度替わりのあれやこれやで、すっかり新規更新が途絶えてしまいましたsweat02
あれやこれやの合間を縫ってお花見や史跡めぐりには行っているので、色々と書きたい事や、アップしたい写真はあるのですが、1日が24時間では足りません……
なんて、へたってる場合ではありませんね。
旬の物は新鮮なうちにsign01

写真を選んでいる余裕がないので、大量アップ~cherryblossom
東京都下の“根川緑道&残堀川”
ここは桜色に菜の花の黄色の彩が素敵なんですよv

008 009_2  010  013_2  014011_2 

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★幕末の神道無念流道場、練兵館跡

Photo
天保9年に火事で消失した神道無念流・斎藤弥九郎の剣術道場・練兵館が、この場所に(現在の靖国神社)再建された。
練兵館には、高杉晋作、桂小五郎(師範代も勤める)といった志士が多数入門し、幕末の三大道場のひとつと言われている。
等々、書かれていました。

新撰組の永倉新八も神道無念流・岡田十松「撃剣館」出身といわれていますね。

002007_2 006_4
道場跡近くの南門、境内で2010/3/17開花中の四季桜、能楽堂です。

アクセス:地下鉄・九段下駅、またはJR市ヶ谷駅下車、徒歩10数分。

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★鶴岡八幡宮の大イチョウ復活の兆しあり♪

 関東に降雪し、シンシンと冷え込んだ日の翌早朝に倒壊してしまった、鎌倉鶴が丘八幡宮のご神木、樹齢1千年以上といわれる大イチョウの植え替え作業が終了したそうです。

根元の幹に空洞ができていた為に、当初、延命は絶望かとも思われていた大イチョウですが、栄養分を吸収できそうな細いながらもしっかりとした根があることがわかり、以前植樹されていた位置よりも、西に7メートルほど離れた地に、根元から幹4メートル部分を植えなおしたとの事。

植物専門家の判断によると、再生可能な確立は90%shineだとか。
幸い新芽が出てくる時期でもありますし、吉報を耳にする日も近い気がします。
今年は久しぶりに鎌倉散策に出かけようかな~
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