史跡散策

★骨董市の布・器、外国人観光客@京都

京都の骨董市で思い浮かべるのは、弘法市と天神さん。
骨董品の露店と、お好み焼きや飴菓子等のお祭りフードの店が並ぶ縁日仕様。
それらよりは規模が小さいのですが、東寺で第一日曜日に開催される がらくた市があり、私は京都旅3日目にそれを見に行くことにしました。

市で掘り出し物を探すには早起きが必須。
朝早くに宿を出ると、外国の男性に声をかけられました。
「コウバン、ドコデスカ?」

・・・わからんcoldsweats01

「私も旅行中だから」
とっさに気の利いた英語も思いつかず、日本語で二言・三言話すと、その方は少し離れたサラリーマン風の日本人に声をかけ、また歩き始めました。

私自身が外国を旅するとき、多くの方に道を尋ね助けてもらいます。
たいてい地図と身振り手振りの「あっちだよ」でなんとな~く以心伝心。

でも、今回はたずねられる立場の私が肝心の交番の場所を知りません。
十数回は訪れている京都の地で、私も詳細な地図を持ち合わせてはいないのです。
外国の方が多い京都で、役に立たない母国人である自分。
歯がゆいですね。
困ったときはお互い様。
とっさの一言英会話能力ぐらいはなんとかしなければ・・・はるか昔の学生時代のサボリを反省しても後の祭りでした。

そんなこんなに思いをはせながら着いた東寺のガラクタ市。
予想以上に楽しかったです。
010_2
右は、以前に京都の骨董品店でもとめた空海2匹の龍絵図の古伊万里。
龍の凛々しい表情が素敵^^
釜傷があるので安く、惜しみなく普段使いをしています。

骨董市では古伊万里とかの陶器を見るのが好きなのですが、京都の市は和服の掘り出し物が多く目に付きます。
露天なので、ハレの日に着る和服ではなく、日常に着れそうな絣の着物等です。

最初に目に付いたのは絞りの羽織800円なり。
旅行中で荷物が増えることを嫌い手に取らずにいたのですが、程なく他の方がそれを買われる姿を見ると後悔しきりの私です。

あまりの低価格に、その羽織に難があるのは必須ですし、裄(袖丈)が合わないので縫い直ししなければいけませんが、羽織は半纏として冬場の家庭着に活躍しますし、素材にシルク・絹地が多いのでリメイク生地としても魅力です。

007_4 その後、2000円で難無しの綺麗な羽織を見かけましたが、柄は好きでも色の好みが合いません。
逃した魚は大きかったか・・・。

結局、銘仙の長着と錦紗縮緬の布を買いました。
銘仙は昔の織物で紺地の大きな格子に枝豆の葉のようにも見える萩の模様。
リメイクでスカートかハウスウェアになる予定。
予定は未定で、出来上がりがいつになるかは未定です(笑)

002 ちょいと生意気な表情の鶴と松の紋様の錦紗縮緬は、額に入れて飾っています。
手織りだったり、地紋がある生地に更に染で模様が描かれていたり、色々な手法を駆使している昔の和服地は見ていて飽きることがありません。

地元東京でも、寺社で開かれる骨董市にはよく出かけます。
日比谷にも外国のアンティーク品が多く並ぶ市があると聞き、今度、開催日のタイミングが合えば見に行こうと考えています。
レースとかクリスタル製品が見たいな。

2012年6月。
本能寺の変をテーマに歩いた京都歴史散策旅行・番外編でした。

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★京都旅@光秀塚と京の和菓子とお豆腐やさん

「★京都旅@本能寺の変と信長忌、秀吉の想い」の続きです。

本能寺の変後の明智光秀に関連した史跡を京都で3箇所みつけました。
彼は豊臣(羽柴)秀吉に山崎の合戦で敗れ坂本への岐路、伏見区の小栗栖で農民の落ち武者狩りにあって重傷を負い自刃します。
その地に、光秀藪や胴体を供養した光秀塚があり、それらは後日訪れる世界遺産・醍醐寺の近くでもあります。

私は本日、東山にある光秀塚を目指すことにしました。
家臣が光秀の首を供養したとされる塚で、現在も家臣の子孫の方が塚を守っておられます。

宿のレンタサイクルで出発したこの日は三条河原町界隈を起点に、寺町どおりを地下鉄駅3駅分北上して信長の菩提・阿弥陀時を参拝。
次に西に2駅分ぐらいの距離を移動して船岡山・建勲神社を散策しています。
東山に行くには、起点の三条河原町に戻り更に東に1駅ほどの距離です。

そのまま戻ってもよいのですが、せっかくなので千本通りを南下してお買い物も楽しむことにしました。
お一人さまの旅も史跡散策という目的があるので楽しいのですが、ちょっぴり困るのが夕食です。

京都は町のどこもかしこも観光地ですから、朝昼はどこでもお気軽に楽しめます。
夕食も京都らしいおばんざいのお店とかが気になるのですが、お酒を飲まない私には、なんだか間が持ちません。

そそくさとお店をあとにするぐらいならと、デパートでお惣菜やお弁当を求めて、宿でニュースを見ながら食べることが多いかな。
今回は京都のお豆腐を試すことに決めていました。
京都には湯豆腐の名店もありますよね。

今日は三条通の豆腐店で一丁を求めました。
味は美味しかったのですが、自転車で飛ばしすぎましたか・・・宿で開封すると形が崩れかけていました・・・いずれにせよ、ヘルシーなお豆腐と京都散策で、ダイエットにも一石二鳥です^^

滞在中、北野天満宮の門前や北大路通りにも お豆腐屋さんをみかけました。
一人で旅する機会があったら、あなたも京都のお水で作ったお豆腐をいかがですか?

食材や、古陶器・アンティーク・リサイクル着物のお店に数店たちより、目指す光秀塚を管理する子孫の方のお店に着いたときにはシャッターが半分閉まっていました。
あ、間に合わなかったか・・・と思いつつも正面まで進むとお店の方が気が付き、気さくに声をかけてくださいました。

光秀塚の管理をされているのは、和菓子処「餅寅」さんです。
名物は光秀饅頭shine
すでに保管庫にしまわれていた和菓子ですが、わらび餅を頂くことにしました。
今晩の献立は、史跡サイクリングの途中そこかしこで買い求めた海老天の太巻き、お豆腐、野菜サラダ、デザートはわらび餅に決定♪

お店の脇の小道を入った所にある、畳3条ほどの広さのお社が光秀塚です。
こざっぱりと手入れされ、大切に管理されている様子が見受けられました。

場所は東山の白川沿い、東山区白川筋三条下る。
近くには青蓮院があります。

光秀塚の記念写真は控えることにしました。
阿弥陀時に残る明智光秀の書状。
003_2 翌日、6月3日は安土城下の信長祭りです。

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★京都旅@本能寺の変と信長忌、秀吉の想い

京都旅の2日目です。
平成24年6月2日は午前5時45分に目覚めました・・・天正10年の本日(旧暦)6月2日は本能寺の変が起こった日。
午前6時には、織田信長の京都宿舎・本能寺のまわりを明智光秀軍が包囲したと聞きます。
マズイ。私、出遅れていますね。。。

天正10年当時の本能寺は、現在ある場所よりも南東の本能寺町にありました。
いざ、私も出陣です。

以前に確かめた時には旧本能寺付近は小学校になっていたはずなのですが、なんと、平成の跡地は老人ホームになっていました。
私が京都府在住なら、このホームへの入居を希望するかもしれません。
とはいえ、もしも幽霊が出てきたらどうしよう・・・夜な夜な鎧兜の織田軍団と過ごすことになるのかしら。。。私は信長公や森兄弟となら会ってみたい気もします。
貴方はどうですか?

最近立てられた碑と昔からある石柱を見学していると、お仲間らしき人々に遭遇しました。
とおりがかりのサラリーマン風の人は、さりげなくも横からの視線で碑をしっかりと見ていますし、前方からは手に持った地図を見ながら女性が歩いてきます。
皆さん酔狂な人々です。私同様にねwink

本日はホテル備え付けのレンササイクルで移動します。
交通機関の待ち時間が無い為、移動が楽ですね。
自転車に乗っていると地元の人と思われるらしく、2度ほど路を尋ねられました。
旅先で見知らぬ旅人と一緒に、あっちかな、こっちでしょうと思案するのも旅の一興です。

私のサイクリング史跡探訪は、最初に現在の本能寺に参拝。
午後2時から信長忌と案内が出ています。

次に織田家京都菩提寺の「阿弥陀寺」に向かいました。
同寺ではこの日、午前10時~第431回信長忌、午前と午後に32代住職の講話会があり、すでに本堂前には入室しきれない人々がたたずんでいました。

Photo写真撮影は禁止されませんでした。
右から、織田信広・信長・信忠坐像と戦死者家臣の位牌。
信長忌参加者は100人を超えており、なんど撮影を試みても人々が写ってしまいます。プライバシー保護のために加工して掲載しました。

講話会では寺の由来と信長との間柄が紹介されました。

●信長兄の信広がある日、行き倒れの身ごもった女性に出会います。
女性はなくなりますが、誕生した子供は織田家で成長。
その子は仏門に入る道を選び、「阿弥陀寺」開基・清玉上人となります。
上人は信長よりも8歳年下。

●今の赤十字と同じように、当時の戦場は死傷者の介護を目的とする仏職の出入りは自由でした。
寺は変の最中に家臣から信長の首を受け取り、変後には殉死した家臣の遺体をも引き取りますが、清玉上人は信長葬儀を執り行いたい旨の豊臣秀吉の申し出を拒絶。
葬儀を政治的に利用されることを危惧しての拒絶でしたが、以来、権力者となった秀吉は阿弥陀寺を迫害。
寺領を減らされ、変の後わずか3年後に若くして清玉上人が亡くなり、衰退する寺を森家や家臣の遺族が支えてくれた。

●秀吉が書かせた「信長公記」では、信長と共に育った義理の兄弟にも等しい清玉上人に関する記述が省かれ、阿弥陀時では、なぜか本能寺の変前後の寺史だけが紛失しているが、明治天皇が信長を祭る「建勲神社」設立の際に経緯を調べ、信長菩提寺であることが認められた。

推定30代後半前後と思われる住職は、時に「知らない」「これは推測ですが・・・」と率直な語り口で、決して知識の知ったかぶりをすることはなく、そのお人柄ゆえに語られた内容は信じられる気がしました。

 菩提寺での信長忌に参列した後は、午後に行われる現在の本能寺の法要に立ち寄ろうかと漠然と考えていたのですが、講話を聴き、私は次に建勲神社の建つ船岡山を訪れることにしました。
船岡山は秀吉が定めた信長公の霊地です。

主君・信長亡き後の秀吉の行動を考えると、その主従関係は表向きだけのものだったのかとの疑問が湧いていました。
伝え聞く、信長の行動は残虐なことも多いですね。
その真意を測りかねた親族・家臣の裏切り行為も多かったようです。

光秀がそむき、秀吉もまた信長に離反していたのか!?
そして、秀吉はなぜ船岡山を霊地としたのか。
後者の疑問の答えは、現地に赴くことですんなりと解けました。

船岡山は、秀吉が信長の葬儀を行った大徳寺の南側に位置しています。
延々と続く階段を登り、神社に参拝し、更に船岡山頂上を目指します。
案内図では標高差がわかりません。
一抹の不安を抱えつつ車も通れるような山道を進むと、意外なことに頂上は間近にありました。
標高101メートル。
神社に至る階段が、高さを稼いでくれたようです。

頂上にある新緑の木々の間から京都の町並みを見わたした時、迷いながらもここに来た甲斐があったと実感しました。
ここからの景観が、信長が居住した安土城天主に立ったときの眺めを彷彿とさせることに気が付いたから。

ただそれだけの事です。
標高は安土城の半分しかありません。
それでも、この安土と似た景色に主従の絆を見出せた気がしました。

ここからは大文字焼きを眺めることも出来るようです。
山肌にくっきりと浮かぶ「大」の文字を確認することが出来ました。
信長も毎年ここから大文字焼きを眺めていることでしょう・・・

さて、せっかくきたのですから、ふもとにある歴史ある船岡温泉に立ち寄り汗を流したいところですが、今日中にもう1箇所回りたい史跡があります。
それは、光秀塚。
本能寺の変の立役者、明智光秀のその後をおってみます。

●最後に、阿弥陀寺で公開された織田信長朱印状をご紹介しましょう。
018焼け落ち、首が取れてしまった奈良・東大寺の大仏像再建のために、織田家統括地の領民は毎月ひとり10文づつ寄付するようにとあるそうです。
仏教寺院と争った印象が強い信長公ですが、東大寺は保護しています。
これは私も初耳でした。
阿弥陀寺住職によると、信長は寺社に他からの力(政治等)が集まることを厭うたとか。

続く

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★京都旅@学問の神様で雷よけと五穀豊穣、茶道資料館

旅が好き♪
気のおける友人と二人三脚の旅も楽しいのですが、時には旅友とスケジュールをあわせることも難しいものです。

そんな時は、時代祭りや火祭り、歴史的な記念日におひとりさまで京都を訪れることにしています。

あれこれと雑多な事がひと段落ついた5月中旬。
ふと今年のカレンダーを眺めてみると、あの本能寺の変6月2日が土曜日である事に気が付きました。
当日は信長にちなんだ品も公開されるとか。
急遽、京都旅計画開始です。

織田家の京都菩提寺、阿弥陀寺ではこの日の午前10時~法要が行われます。
手配可能な個人旅行用の交通機関のうち、お得な空席では間に合いません。
超が付くほど早起きして飛んでいこうか・・・逡巡の末、予定を早めて1日午後から京都入りすることにしました。

6月1日には、北野天満宮で雷よけの例祭が執り行われます。
例祭は早朝に一般人参加不可。
予定を早めて、6月1日のみに授与されるお守りを求めることにしたのです。

003 火之御子社例祭(ひのみこしれいさい)

由 緒(北野天満宮HPより転載)

火雷神を祀った当宮摂社火之御子社は、本社北野天満宮鎮座天暦元年(947)以前よりこの地にあり「北野の雷公」と称えられ、雷電・火難・五穀の守護として、朝廷より篤い崇敬された。

平安時代、朝廷では主に雨乞い・豊作を祈願されていたが、次第に雷除けが主となりました。

火之御子社は雷よけも頼もしいのですが、家庭菜園が趣味の私にとっては、五穀豊穣祈願のありがたい神様です。

002 北野天満宮は菅原道真を祭る学問の神様として広くしられています。
過去にも毎月25日に行われる天神さん骨董市目当てに数度訪れたことがありますが、この日初めて見た骨董市の立たない境内はとても広く感じられ、境内の至るところに連なるお宮では、長い時間微動だもしないで熱心に頭を下げる人々の姿が見受けられます。
道真公、人気有りますね。

Photo
同地にある史跡。
幕末に西洋銃の輸入売買を行った自由人・坂本龍馬。
彼を暗殺したとされる徳川家幕臣・京都見回り組与頭・佐々木只三郎が一時下宿していた観音寺と、豊臣秀吉が作った京都を囲む御土居跡を見学しました。

001_2 ひとつの場所でいくつもの歴史が動いていたのは京都ならでは。
訪れるたびに史跡を確認し、帰宅後しばらくして歴史本や小説からあらたな史跡に気がつき、再度訪れたくなる歴史の宝庫。
際限がなくて困りますね。

6月初旬の入梅前のさわやかな気候のこの日に、裏千家の茶道資料館にも訪れました。
信長・秀吉に仕えた茶人・千利休の子孫が起こした表千家・裏千家・3派の流派が現代も京都に続いています。

目指す資料館は近代的なビルの中にありますが、近隣には小さな日本庭園や石塔、寺社が目に付きます。

茶席のしつらえ、お軸や茶碗etc。
茶道の展示物が拝見できると同時に、呈茶席では入館者全員にお茶とお菓子が振舞われます。
観光で疲れた体を休め、茶道に親しむことも出来る資料館です。

どんなお茶碗を使ってくれるのかしらん。

本心はね、期待半分、冷や汗半分です。
ここは茶道の本家大元です。
心得の無い私がふらふらと出向いてよいものかsign02と迷いつつ、作法を調べていこうと思っていた謙虚さは忙しさに紛れて挫折。
結局はうろ覚えの知識のまま椅子席に座ることになりました。
お茶の文化を広く伝える為の資料館です。
きっと教えてくれるだろう・・・はい、不如意な客人に恥をかかせることなく、さりげなく手本を示してくださいました。

この日のお菓子は、鼓月の水無月。
三角形のういろうに茹で小豆を載せた季節の和菓子です。

期待のお茶碗は、純白に銀ねずの模様。
美濃焼きの鼠志野かなsign02
あえて確認しませんでしたが、近くの客には、干菓子に落ち着いた土色の茶碗が振舞われていましたので、色々と取り揃えてもてなししてくださるようです。

入館料500円。
京都らしい雰囲気を体験したい方にお勧めします。

さて、織田信長の京都宿舎本能寺に、臣下・明智光秀が攻め入ったのは天正10年6月2日午前6時ごろ。
本能寺の変を追いかける明日は忙しい1日になりそうです。

続く

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★吉良邸跡・勝海舟生誕地@両国

012赤穂浪士が討ち入った吉良邸跡。
八重桜が満開の平成24年4月中旬(2012)に訪れました。

吉良邸は地元の有志の方がたが発起人となり、東京都JR両国駅から徒歩数分の場所に保存されていました。

010白壁に囲まれた所のみで、かつての規模は想像もできないほどに狭いのですが、都内の地価を考えれば致し方なし。
資料も公開され、とても綺麗に保存されていました。
地元の方々の尽力に感謝します。

近年、江戸切り絵図(古地図)の書籍が頻繁に出版されています。
ちょっとしたブームでしょうか。
赤穂浪士人気か、はたまた土曜日ということもあるのでしょう。
私同様に吉良邸を訪れる人々は後を絶ちませんでした。

015両国公園。
吉良邸跡から少し両国駅よりに戻り、角を曲がると両国公園があります。

この公園の隅に、幕末に江戸開戦を避けようと尽力した幕臣・勝海舟生誕の地碑があります。(写真中央下にある石碑)
勝海舟はこの地で生まれました。
御父上の実家がここにあったとの言い伝えです。

みてのとおり碑は公園の片隅にポツンと設置されていますが、公園ゆえに、この地も永く保存されることでしょう。
子供らの遊ぶ元気な様子が、近年の大河ドラマ「龍馬伝」で垣間見た海舟の面影に重なりました。

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★貯金塚でもとめた金色の招き猫♪

240 237

239 東京は浜松町・大門付近を散策中に偶然見つけた、芝大神宮 鳥居横の貯金塚。
284_2

なんだかご利益ありそうなので、黄金色の招き猫を求めてきました^^


解説版画像はクリックで拡大します。

いっつも読んでくださってありがとうございます^^

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★「江」家康の次男が養子縁組した結城家

大河ドラマ「江」は関が原の戦いを放映中です。
女性の視点で描く戦国時代なので、やや軟派な展開ですが、女優陣の衣装は見ごたえがあります。
絞りを多用し、更に刺繍を施した内掛け…刺繍部分には金糸でふちどりも。
アンティーク着物好きには眼福もの^^で、毎週、目を皿のようにして視聴しています。

さて、本題。
徳川家康の次男は、秀吉と養子縁組したのち、さらに関東の名門・結城家17代晴朝に養子として迎えられます。
めまぐるしく家を変わらざるを得なかった徳川(結城)秀康。

家康も幼少の頃から他家に預けられ、そこで信長と知り合った経緯が有りますし、この時代、養子(人質)に出されることは致し方ないのかもしれませんが、流転の人生ですね。

ご存知のように、家康は謀反を起こした長男を織田信長の命で亡くし、次男・秀康は豊臣秀吉により引き離され、3男に家督を継がせています。
何があろうとじっくりと構える家康のことですから、表面上、秀吉の命に従うように見えても、実は次男・秀康の人付き合いの良さを評価し、徳川と諸大名との同盟つくりに奔走させたのかもしれない…そんな気もします。

095 096 こんにち、結城紬で有名な結城には、そんな結城家の名残が今なお残っています。

私が訪れたのは初春の頃。
ちょうど、結城紬の施設に結城家の雛人形が公開されていました。
写真はクリックで拡大表示出来ます。

私がこの地を訪れた主目的は、日本の伝統工芸・結城紬の見学なのですが、観光地図に結城城跡と結城家御廟の表示をみつけ、御廟を訪れることにしました。

結城家は関が原の戦い以降、領地が越前に変わりますので、ここ結城には16代までの墓しかありませんが、結城家17代の養子となった秀康は、新しい父にともなわれ先祖の墓参に訪れたことでしょう。

さて、地図を頼りに墓の辺りに赴いても、お寺はあれども結城家御廟はみあたりません。
地もとの方に伺うと、道を挟みやや離れた場所にありました。
まわりを畑で囲まれていますが、しっかりと保存されています。

099 結城家御廟はこの櫓?の裏にあります。
私はお墓そのものは撮影しない方針ですので、簡単に説明しましょう。

結城家御廟は台形状に土が盛り上げられた排水の良さそうな高台に石が敷き詰められ、ズラリと初代~16代までの墓、そして近親の墓が整然と並んでいます。
この形、かなり珍しい気がします。

098 左手巨木前に掲げられた案内板。
拡大しても読みずらいとは思いますが、配置図を参考にしてください。
四方を畑に囲まれ孤立した廟では有りますが、雑草もなく、きちんと整備されている様子が伺えます。

付近はのどかな田園風景なのですが、武家を思わせる誇大な門構えのお屋敷もあります。

日本の伝統工芸・結城紬と戦国時代の名門・結城家の足跡が残る結城市は、またいつかゆっくりと散策してみたいと思わせる街でした。

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★神田明神下の銭形平次

道の向こう側で風にはためくのぼりを見かけた。
“神田明神”とあります。

カンダミョウジン

はて、どこかで聞いたような気がするなと思い、
足を向けて境内を散策するうちに思い出しました。

銭形平次ですね。

時代劇で、彼は確か、神田明神下の銭形と名乗りをあげていた気がします。

この日出歩いていた当初の目的は、御茶ノ水駅北側に隣接する湯島聖堂。
聖堂の周りをグルリと周遊する途中で見かけました。

とはいえ、今日は時間に限りがあります。
散策に使える時間は1時間と30分ほど。
大学病院に通院する家族の付き添いの為に出かけ、
受付後、診察予約時間までの待ち時間を利用しての散策です。

予定していた湯島聖堂だけの散策なら充分な時間がありましたが、
予定外の神田明神は早足での散策になってしまいました。

明神様の売店の一角には、自動販売機と休憩スペースがあり、
同年代と思われる女性がゆったりと休憩しています。

史跡散策で同年代一人歩きの女性に出会うことは稀な事。
時間があれば、声をかけてみたかったな。

思いがけずみつけた銭形の親分の持ち場。
あれっ、彼って実在の人物でしたっけ?
それとも時代劇のヒーロー?

大岡越前は実在の人物ですよね。
水戸光圀も。
銭形平次は…? あとて調べてみましょう。

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★レインボーブリッジと幕末砲台跡

009
江戸歴史散策の会に参加させていただき、レインボーブリッジを渡ってきました。

この日は、この夏の例外にもれず酷暑でしたが、歴史に多少なりとも興味をお持ちの方々とご一緒の散策で、気兼ねなく楽しい時間を過ごす事ができました。


004 007

レインボーブリッジというと、フジテレビ社屋もあり、最先端のレジャースポットですが、意外な事に、ここには幕末の史跡が残っています。
いえ、残るというより、“お台場海浜公園”という地名は、まさに史跡そのものなんですね。

嘉永6年(1853年) 7月8日神奈川県横須賀の浦賀沖にペリー率いるアメリカ海軍艦隊が来航しました。黒船です。
その際、幕府はここ品川沖に海上砲台を築きます。

現存するのは2箇所のみで、海上に独立する第六砲台は非公開ですが、第三砲台は海浜公園と陸続き・湾を挟んでフジテレビとは丁度反対側に位置しており、間近で様子を見る事が出来ます。
Ok
テレビドラマでしか大砲を見たことのない私には、いまひとつイメージのわかない遺構ですが、吹きさらしの割には保存状態は良いようです。
写真右手の鉄線の柵の先は窪地になっており、そこに陣屋・弾薬庫があったそうです。

背景には、高層ビルとレインボーブリッジ。
このあたりは人影もまばらですが、ほんの数分歩けば、浜遊びに興じる人々で賑わっています。
新旧が混ざった景観ですね。

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★明石海峡大橋と釣キチ三平?

 2010年5月、マイルの期限切れ間近にあわてて計画した2泊3日の関西旅行。
龍馬伝や新撰組といった幕末が気になる昨今の私は、大半の時間を史跡散策に費やしましたが、足早に史跡を回り、最終日、帰りのフライト時間までを過ごした明石ウォーターフロントで、ゆったりと旅気分を満喫する事ができました。

朝一番に姫路の亀山本徳寺(新撰組屯所の西本願寺・北集会所建物を移築)を拝見し、海沿いの車窓景色を満喫しながら兵庫県を移動。
私鉄・明石公園駅を降りても、車窓からは確かに見えたはずの海も橋も見えません。

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その様子に不安が少々こみ上げてきましたが……。
JR駅側に回ると一気に視界が開けて、巨大な橋がドーンと目前にせまっています。

002 10時少し回った開店直後と思われる駅ビル内のスーパーは既に買い物客で賑わっていました。
作りたての暖かいお惣菜やら、美味しいお茶、デザートを購入。
橋のたもとで海辺の潮風を浴びながら、モーニング兼ランチタイムとしゃれ込む私の眼前を、早朝の漁を終えたと思われる漁船が、次々と通り過ぎていきました。

003 005 006 007 009 004 008
霧に煙る淡路島と明石海峡大橋の景色に、なかなか立ち去りがたく、飽きずに眺めていると、ヨットやら観光船やら、ハテは三隻つながった船などが次々に橋の下を通過していきます。(写真は左クリックで拡大できます。)

001

時間が余れば、久しぶりの三ノ宮で買い物も良いなと計画していたのですが、心地よい潮風に誘われて海沿いの遊歩道を海水場の方角に散歩すると、埠頭沿いは釣に興じる関西の釣り人で大賑わい。
各々好きなスタイルで休日を満喫していました。

雄大な海と橋のおかげでしょうか、人混みが苦手な私が、人が大勢いる圧迫感を感じません。
次に関西に来る機会があれば、是非、再訪したい場所です。

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