新撰組・新選組

★土方家が祀る、とうかんの森・樹齢300年の藤

201102新撰組副長の土方歳三。
彼の出身・日野市の土方家ゆかりのお宮をとうかんの森と呼んでいます。(1枚目の写真)
その昔はきっと、このあたり一面が森だったのでしょう。

現在では、区画整理された住宅地の中にポツンとお宮が取り残されてしまいました。
001
そして、樹木の根が及ぼす近隣の家への悪影響防止のため、昨年2月に樹齢300年あまりの大木の大半が伐採され、今は3本の大木が残るのみです。(2枚目の写真・鳥居の間に見えるのが藤です。)

ガーデニング大好きheart04な私としては、残された樹齢300年余りの藤の木が気になっていました。

伐採こそ免れたものの、昨年バッサリと剪定されてしまった藤の木です。

どれどれ、今年は花が咲いたかな・・・
幹をたどり空を見上げました。
003
004とうかんの森の藤の樹2012.5.12

樹齢300年の傷んだ幹から新しい茎と葉は伸びていますが、どうやら、今年は花は望めそうもありませんね。
ガッカリ・・・来年に期待しましょう。

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★山南敬助が通った道場跡

新撰組総長を勤めた山南敬助さんが天然理心流に入門する前に通っていたという小野派一刀流の道場跡地を訪れてきました。

所要時間は1時間ほど。
JR水道橋駅から徒歩でアクセス。

349 わけありで
携帯画像をデジカメで写しています(^-^;

神田川、新川橋の袂に目指す道場はあったようです。
いまやすっかりコンクリ化された都内の川岸で、もはや幕末をしのぶ風情は見当たりません。

353幸運なことに、現在  道場跡は公園になっています。

名称は「西神田百樹の広場」

すぐ真横が高層ビルで、賃貸のレジデンス&オフィスビルになっていました。
ここに住めたら嬉しいな。

幸いにも、この日はジャケットを着こんでいたので、おもわず公開中のレジデンスのモデルルームにフラフラ足が向きましたが、管理人さんの姿が無く見学はかないませんでした。。。
いや、見学できたところで都内の駅から歩ける場所の高級レジデンスを借りる甲斐性はありませんので、お留守で幸いでした(^-^;

画像の公園前向かって左の道を進むと講武所跡。
右にある橋を渡ると沖田総司義兄の所属した新徴組跡地等にいたります。

この辺は幕末には剣術道場乱立地帯だったようですね。

350 公園敷地内のモニュメント。
なぜか地球儀です。
世界に目を向けていた坂本竜馬を連想しました。

付近の飲食店では店頭で持ち帰りのお弁当を売っている店もチラホラ見受けられます。
企業のほか大学があるからでしょう。

この公園内でお昼を食べている人々の姿も有ります。
道場跡地が公園になっているのは本当に幸運ですね。
堂々と歩き回ることが出来、更に飲食まで出来ちゃうのです。

ですが、私はこの日、都内に通院する家族の付き添い日。
病院の待ち時間を利用してのひとり史跡散策です。

家族は病院内にいますので、多少具合が悪くなっても安心ではありますが、早めに病院に戻るべく帰路に着きました。

また来る機会が作れれば、今度は私もこの地でお昼をいただこう。

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★近藤勇の掛け軸と文

近藤勇の鑑定済みの掛け軸が出てきたようですね。
個人所有ですが、26日から京都・霊山歴史館で1年間限定で公開されるとか。

急坂の上に建つ歴史館は、私には超がつくほど苦手な場所(急坂で心臓バクバクです)ですが、公開中に1度訪れたいものです。

近藤・土方・沖田、お三方の手紙は、以前から東京日野の佐藤資料館(土方姉の嫁ぎ先)に展示されていますが、皆さん、美しい文字を書かれますね。

更に、新撰組主治医の松本良順の掛け軸も東京日野の高幡不動尊で公開されています。
永倉新八が板橋の慰霊碑建立の資金集めに、松本医師の書を売り歩いたといいますから、新八さんの指紋がついているかも!?

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★斉藤一が明治に勤務した湯島聖堂

幕末の新撰組隊士、斉藤一さんが警視庁退職後に勤務した高等師範学校跡。
ここの付属博物館看守(守衛)や庶務・会計として奉職しました。

現在は湯島聖堂として公開されています。

明治時代の建物は火災で焼失してしまったようですが、再建された建物の配置は、消失前とほぼかわりないと伺いました。

門脇に建つ守衛詰め所の玄関
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斉藤一さんも、このような雰囲気のところから出入りしていらしたんでしょうね~。

020 明治時代はここ文京区に職住を定めたとか。
かつての盟友、永倉新八さんも徒歩圏内に住んでいましたし、あの伝通院も徒歩圏内です。

ここには奥方の親類の紹介で職に就いたようです。
かつて所属した新撰組には、自らの働きで人生を切り開くイメージがありました。
縁故ですか…
しかしながら、新撰組・会津藩とのかかわり、幕末の動乱を考えると致し方ない気もしますし、落ち着いた生活ぶりに安堵しました。

警視庁時代には、剣術(撃剣)大会にも出場。
現代で言うところの“スポーツとしての剣道”も体験されているのでしょうか。
晩年は教育・文化の場に職を得、おだやか、かつ頼もしい生活ぶりがうかがえました。

いつか機会を作り、彼の通勤経路も歩いてみたいものです。

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★戦国時代 ききょうが増殖して木瓜が散り、桐が花開いた

ある方の英国滞在記を読みました。

「春咲く花の順番は、ユリと赤バラ 仲良く咲いて、そこへヒナギクやってきて、赤バラ散ったら、白いバラ」

紋章を使った英国史ですね。

赤バラ紋章がヘンリー6世。王妃の名はマーガレット・ひなぎく。
ユリはフランス。
ヨーク家が白バラ。

なんとも風流^^

私は英国史は詳しくないので、日本戦国史を家紋で考えてみました。

「ききょう(光秀)が増殖して木瓜(信長)が散り、桐(秀吉)が花開いた」

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★武士の食卓

加賀藩前田家の料理人の子孫、緋宮栞那・ヒミヤカンナさんの本「武士の食卓」です。
落ち着いた碁盤模様の表紙をみて、評論集なのかなぁと思いつつ手に取ったところ、武家の食事を現代風にアレンジしたレシピ集でした。

28通りのレシピは全て一汁三菜。
写真付き。

「祝いのご膳」…「大奥美肌ご膳」…「不老の秘食ご膳」…「サムライ誠のご膳」…「上士ご馳走ご膳」…「忍者隠密ご膳」

歴史好きなら思わず食べてみたいな~と思うご膳ばかりです^^

本の出版詳細
左側枠外の「武士の食卓」画像、または文字をクリックすると、リンクしている書籍通サイト・アマゾンamazonでご覧いただけます。

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★織田信長忌と新選組墓参

6/2は京都で本能寺の変がおこった日。

信長公を弔うお墓は数箇所建立されています。
かつて安土桃山時代に興味を持った若かりし頃には、好奇心を道連れに、あちらこちらさ迷い歩きました。
若い私は現本能寺のかたわらで営業している某旅館には予算の都合で泊まりたくても泊まれず、おそるおそる覗いてみたロビーの売店で信長公の家紋付き包装紙に包まれた菓子をみつけて、喜んで買い求めてきたものです。
このあたり、アイドルの追っかけとなんら変わりない気がして、いまさらながら赤面ものですが。。。

もちろん、本能寺から信長公の遺骸を救出し弔ったといわれている寺町通りの阿弥陀寺も訪れています。

変の混乱のさなかにどうやって救出することができたのか?
抜け道が造られていたのか?
あるいは女同様、仏職者ゆえに戦闘の傍らを通り抜ける事ができたのか?

真偽の程は不明ですが、信長親子と背後にズラリと立ち並ぶ森蘭丸ら近習の墓には記念碑的な供養墓以上に現実感があります。
私が初めて訪れた日は、もう20数年も前の事になりますが、信長公の墓上部と同じ目線の高さにあった(昔は同じ高さだったのです)隣家との境の塀の上に黒猫がたたずみ、ジーッと私を見つめていました。

うっ、あんた、もしかしたら森蘭丸の生まれ変わり?
いや、その凛々しい顔は力丸君?⇔名前だけでイメージを決めるなよっ私punch
そうやって、ずうっと信長公の側に仕えているの?
な~んて、妄想もはなはだしい20代の私。。。
本当、赤面しちゃいますhappy02

お墓は普段から出入り自由なのですが、本堂と寺宝の信長公の木像や手槍は、命日6/2のみ公開との話を聞きつけ、それは是非拝見したいものだな~と機会を伺ってはいるものの、平日の東京⇒京都の距離で実行できずにいます。
今年の大河ドラマ「江」の信長はかなり私好みだったので、今年こそは!と想いも新たにしたんですけどね、年を重ねて分別が身に付いた分、なにやらフットワークが重くなっちゃった気がします。
20年にも及ぶ発掘調査の終わった安土城跡にも登ってみたいのですが…。

でもね、今年も新選組の方たちを偲べる場所には出没しています。
多摩在住で近いからとも言えますが、時間を作って出かけることになんらかわりはありません。
ドラマ、小説、様々な手法で描かれる彼等の真実の姿はどんな人物だったのだろう・・・・・・・
いまとなっては誰も知る事がかなわない遥か彼方の時代を生きた人々ですが、私が気になってやまない歴史上の人物達。
4月、5月、6月は彼等の命日が続きます。

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★新撰組ゆかり、普門寺の桜@日野

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20110413_009_4高幡不動尊の末寺 。
高幡不動尊の末寺というと、新撰組・土方歳三の実家が墓檀家となっている石田寺がありますが、甲州街道沿いの八坂神社にも天然理心流の奉納額が現存しており、近藤勇(推定24歳)や沖田総司(16歳)の名前が発起人として記載されています。

ここ普門寺は八坂神社(当時、牛頭天王社)の別当でした。明治元年・西暦1868年、維新政府の神仏混淆禁止令で、普門寺と八坂神社に分離。

20110413_002_2 額が奉納された年号は、安政5年・西暦1858年のことですので、普門寺も新撰組ゆかりの寺になります。

境内はさほど広くは無いのですが、桜の枝をくぐりぬけると、円錐状の枝垂れ梅と、赤松があります。

由緒によると、寺の開基は1398年。
現在の地に移ったとされるのが、1570年の事ですから、これらの木々の樹齢は・・・流石に450年とは言いませんが、樹齢100年は確実。
わが実家の玄関を飾る松の幹と比較すると200年もいけそうだし、あるいは300年?・・・見事な枝ぶりです。
2011年4月13日撮影。

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★新撰組後援者菩提寺、大昌寺の桜並木@日野

東京都日野市の大昌寺は、新撰組後援者、日野宿本陣・佐藤家の菩提寺で、佐藤家に嫁いだ土方歳三のお姉さまもここに眠っています。001

お寺門前は車道に面しているので、てっきり門からが寺地だとばかり思っていたのですが・・・その車道をはさんで30~40メートルはあろうかと思われる参道が続いています。
桜の花に覆われて、参道入り口からはお寺の門を垣間見る事ができません。

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参道を半分以上歩くと、やっと大昌寺の門 全体を確認する事ができました。
現在は、向って右側は駐車場、左側が駐輪場になっています。
かつては広大な敷地のお寺だった事が推測されます。

2011年4月11日、満開の桜の花びらが風に舞います。

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★樹齢300年、土方家のとうかん森が伐採されます。

20110209_006_2 土方歳三の生家近くに保存されている“とうかん森”の樹が近く伐採されると聞き、夕暮れ時に行ってきました。

とうかん森は、近隣の土方家が氏子となっているお宮さんで、その周りを取り囲む木々は、推定樹齢300年。
歳三の生家は氏子ではないらしいが、生家ととうかん森は徒歩圏内にあり、かつて歳三少年がこのあたりで遊んでいたんだろうなぁと思える雰囲気が、そっくりそのまま残っていました。

20110209_3 写真で見ると、ここは山深い山村にも見えそうですが、実は東京都下。
ほら、とうかん森の案内板(画像はクリックで拡大表示できます)の後には近代の住宅が見えるでしょ。
一辺15メートル位の四角に区切られた東京の住宅街の一角です。

お宮を取り囲む木々は、いずれも大木ですが、お宮の右手に写る樹の空洞は地上160センチほどまであり、子供なら、すっぽりと中におさまることができそうです。
根元が広がっている事もありますが、一番の大木は、根元の直径が1メートル50センチくらいかな。
なんせ推定樹齢300年ですから。

昨夏、実家の紅葉の樹が枯れてしまいました。推定樹齢20~30年。
枯れたものはしょうがない。
いざ、取り除こうと根元を掘ると、直径10センチ程の幹の根元には直径5センチ程の根が数本も伸びており、難儀しました。
結局、掘り起こせず、太い根はのこぎりで伐採する事に…樹の成長ってすごいsign03
大木が生え揃う、とうかん森の地下はいったいどうなっているのでしょうsign02
東京の狭い住宅街の事、この木々を伐採せざるを得ないのは納得できます。

20110209_007 伐採後は、ふじの樹ほか2本の計3本のみが残されるそうです。
ふじの樹は、鳥居の間に見える干からびたsweat01斜めに伸びる樹です。
はるかかなた木々の頂上を見上げれば、他の樹にもたれて生えています。

この干からびた(藤さん、ごめん)ふじの樹、生きてるの???と、頭上を見上げて樹の幹をたどっても、うっそうとしており良くは見えないのですが、敷地の端っこに、ふじ蔓らしきものが垂れ下がっていました。
新芽が見えます。
はい、健在ですね。

また初夏に、藤の花の咲く頃に見に来ようと思いながら、とうかん森を後にしました。(2011年2月9日日暮れ前)

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